日報は時間の無駄?
日報を書くのが楽しいと思う人は少ないと思います。
これは嫌な理由がわかります。
大きな理由の1つではないでしょうか。
ただ「仕事だから業務の一環だ!」という強制力をもって書かせる会社もあります。
仕事って日本人にとって便利でもあり、脅迫地味た言葉でもありますね笑
私は今は日報を書いていません、
ただ日記とジャーナリングと言われる「書く瞑想」が、日報の変わりになっています。
そう考えて、日報が時間の無駄と疑問を持つ方の参考になればと思い、まとめてみます。
日報が時間の無駄と感じる3つの理由があった
個人的に日報が無駄と言われる理由を掘り返してみました。
そうしたら、大きく3つの理由に収まります。
・ダメ出しだけされる
・書く習慣が強制される
思い込みが強いですが、日報を書かせるほうも考慮するべきところがあります。
書く側としては自発的ではなく、強制感があるでしょう。
あくまで個人的な振り返りなので、参考程度にしていただき、なにかのきっかけを掴んでもらえると幸いです。
成果に繋がる行動と思えないから
成果に繋がる行動、つまり業務の中で「意味がない」ものと捉えてしまいます。
日報の書く内容にもよりますが、多くは業績に繋がる行動になったかを聞かれるものが多いです。
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書く項目の多さが課題です。
細かい分析をしたいようですが、毎回出てくるとは限りません。
書く依頼をするほうは知りたいですが、その前に言語化する能力と、書く習慣のハードルがあります。
習慣を新しく付けるのは、業務だからと流せることでは、ないんですね。
脳の勉強をしましたが、非常に負荷がかかることらしいです。
それは今回の内容からズレるので省略しますね。
できていないところだけを指摘される
私はフリーランスとして活動する中で、生き方について学んでいきました。
そうすると、日報については個人的に
「戦時中のサバイバル精神が歪んだ、日本人の悪しき習性」が表れていると感じました。
結果を見て、ダメなところだけを伝えることです。
思うような結果や、期待通りの動き以外は評価されない。
または、できたところを見ないのは、
精神論とかけ離れた理想論という無責任さも出てきます。
・次はどうするのだ?
向上と改善がのサイクルだけだと、できている部分が見えません。
それを「甘さ」と捉えられる雰囲気こそ、改善が必要でしょう。
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日報を書いても「ダメ出し」のものばかりだから、時間のムダと思うのも自然でしょう。
さらに、日報を書くという行動も実はいろいろなハードルがあります。
書く習慣にもハードルがある
仕事上の成果や評価に結びつく行動なら、習慣化も早いかもしれません。
ただ、メリットを実感できない新しい習慣は、強制感を持つのも事実です。
日報を書くのは「書く」という習慣に抵抗がない人は、内容を考えられるでしょう。
ただ、書き慣れていない人は、報告と習慣化をする必要になるので、余計に無駄という考えに陥りやすいです。
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たかだか日報ですが、これ一つを見ても複雑です。
「言われたからやる」「文句を言うな」
こんな理論が通る社会から逃げたくなるのは当然でしょう。
また、日報から信頼を揺るがす事案にも発展しかねないと思います。
日報は信用問題にも発展しやすい
たかだか日報と思っても、上下関係に亀裂が入ったり、会社への不信感が出たります。
それは「監視、管理」という信頼関係で成り立つものが、壊れやすいからです。
データを守るなど、安全面では良い働きをする管理ですね。
しかし意志がある「人」に対して行うのは、注意が必要でしょう。
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成果が上がらないから、何をしているかわからない。
だから、日報や携帯の場所を特定する。
日報を隠れ蓑にした信用不足ではないでしょうか。
こうは言っても、
私が読者さんの会社の状況を変える力はありません。
成果で判断される世界では、うるさい人になりますね笑
ですので、できることは日報を書いていることを活かすことでした。
日報の習慣を自己啓発に活かす
日報を書くのが苦痛な方におすすめする、視点を変えた見方です。
日報は強制的に毎日書かされることを利用できないか。
これが活きるのは「日記を書く習慣」に役立つと見ています。
報告のために書いていたものを、自分のために書くことに変えていくと、日報で書くことも増える期待が持てます。
習慣化が思考を変えるとも言えます。
「やってきたことが、このときのためだったかも」と無駄と思ったのが活きたときは、爽快になるでしょう。
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書く習慣は自己啓発の上でも、マインドフルネスでも重要です。
仕事で成果が上がらないとか思うことありました。
フリーランスでも同じですが「自己肯定感を上げる行動」が小さな結果を作ってくれる。
そう思えたし、自信と思う方は「自分のために書く」というのを、日報を利用してやってみると良いかもしれません。
日記を書くときの気持ちは「会社で嫌なことやっていたから楽勝」と思えるかどうかです。
もう嫌だ!と思うなら、無理に続けないでくださいね。
まとめ:日報は自分の書く習慣をつけるためと思えばいい
今となれば、日報を丁寧に書いたことが生きているかもしれません。
ただ「手書き」が抵抗なかったことだけで、義務感は当時払えませんでした。
また、成果主義で細かい作業は認められず、数字の結果を比較されました。
私は、体育会系がまかり通りやすい雰囲気が嫌いです。
生き方を知っていく中で思ったのは、組織は少しずらせば価値が変わる。
要はステータスを人生の価値としても、環境が変わればいわゆる「下」になるよということでした。
もっとも、上下の判断が生まれない環境が一番良いかなと思います。
そんな世の中がちょっとだけ共存しても、面白いかもしれませんね。
最後は私の会社に対する私情でした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回の投稿でお会いしましょう!
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