「結果が全てではない」は本当?言い訳にならない視点変化をしてみた

個人ノート
この記事は約7分で読めます。

結果が全てではない!

そう言いたくなる気持ち、わかります。

「結果が全て、他は言い訳」

この言葉に悩む人、多いのではないでしょうか。

結果だけで判断しないで欲しい!

劣等感にさらされ、
反論したくなった気持ちから出た言葉だと思っています。

少し個人的な結論を言うと

結果ばかりで判断する目線は、
新しいアイデアとチャレンジするのを阻む!

このように思っています。

そもそも、結果が全てというのは一つの価値観ではないでしょうか。
あまり、良い意味で捉えることはありません。

まるで人類共通で、全ての見方が「結果」だけと思いがちです。

それを解いていった見方を今回は記事にしています。

「結果が全て」と悩まされている方に参考となれば幸いです。

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「結果が全てではない」が言い訳にならない視点変換

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結果が全てではないと言いたくなる場面は、一度でもあったと思います。

・結果だけを見ないでほしい
・過程の中にできたことがないか?
・これで終わりみたいな言い方だ

自分が思った心の声を書きましたが、これに近い思いがあったら幸いです。

結果が全ては
「良かったり期待した結果が出なかったときのダメ出し」

このような意味合いで使われていることが多いです。

果たしてそれは、全てのことに言えるのでしょうか。

結果が全てと言われる訳を理解して、徐々に視点変換をしていけるように、書きました。

「結果が全て」は人に言うとダメ出しになる

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結果が全てと言われるのは、
どこかで聞いたり、人から言われた価値観ではないでしょうか。

たしかに結果はわかりやすいし、判断できるものです。

営業では数字が全てという概念、未だに強く残っていますね。

しかし、期待する結果・数字を出すのは「相当な努力」が必要です。

それをできなかった人に「結果が全て」というのは
「お前はダメだ、次はない!」と言っているようにも聞こえ、脅迫レベルの話にも聞こえます。

そして、あたかもそれが全ての価値観という風潮を、自分で信じ込んでいる気がしてきたのです。

言葉の本質は「機会がないから満足する結果を出せ」

「結果が全て」と人に言うとき

・納得する結果
・1回の機会を大切にせよ

このようなニュアンスで、それ以上続く言葉が言えないです。

結果が全ての本質は機会を大切にする

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なぜこのように言われるのか?

プラスの見方をすると、機会が少ない場面があるからではないかと思うのです。

・中学・高校受験 → 浪人、留年という概念はない
・スポーツの大会 → 年に1回あるかないかが多い。
スポーツで日本代表戦があると、結果が全てと思うのは私だけではないと思います。

日本人の一期一会という言葉がありますね。
「1回の機会を活かせないのはダメなやつ」という
レッテル貼りが横行しているようにも見えました。

スポーツ見ていると「できなければ交代」ですが、あれはその場の流れを考えた上でやっていること。

変えられた人が「ダメ」という見方になりがちです。

しかし「その場と今日の調子では良い結果には結びつかなかった」だけで、全部ダメは偏見になります。

これらを結果が全てという見方が、SNSでの誹謗中傷になっている気もします。

人生は機会が少ないことだけ?

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じゃあ、人生という視点で見ると、受験もスポーツの大会も「1つの通過点」ではないでしょうか。

確かに機会は少ないですが、それが人生の全て?と聞かれたらどうでしょう?

その場では「後悔」が残って悔やまれます。

ただ、勝っても負けても「過去への執着」に変わり、これからの思考にわだかまりを作ることになりますね。

機会が少ないことはたくさんあります。

しかし、同時に私は試す機会もたくさん作れると思えるようになっていきました。

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結果の良し悪しは個人の判断だけ

結果の良し悪しを、人価値まで判断している気がします。

事実をどう受け止めるかだけの違いではないでしょうか。

それらの理由を人格否定に結びつけていると思えます。

判断は周りや自分に「悩みの種」を撒くことになります。

これが良い!これが悪い!と思うことはありますね。

それらは「一人の意見」という見方ができないと、固定概念になる新しいものが生まれないでしょう。

人に言うと新しい発想が出にくくなる

 

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やはり日本人の特徴として、
一度やったらダメというのが染み付いている
気がします。

いろいろやってみれば、、、と言っておきながら、試したことは認めず結果だけを見てダメ出し。

こんなこと、しょっちゅうですね。

ここで台頭してくるのが「根性論」です。

ダメ出しをしておきながら、這い上がってこい!と求める。

戦時中のサバイバル精神が、こんなところで使わていませんか。

戦火の精神を持ってこられれば、立場が弱い人は何も言えないでしょう。

ダメ出しするときは、本人は自覚がなくとも、サバイバル精神が基になる言葉を使っています。

そんなのが横行すれば

新しいことをやれば叩かれる。

こんな刷り込みが生まれてこないでしょうか。

これらも習慣から出来上がる思い込みです。

しかし、考えや思い込みは修正ができます。

「結果が全てではない」と言えた人、勇気がある

大勢の意見が優先される中、対抗というか別論を述べるのは勇気がいります。

やはり、戦火のサバイバル精神のほうが美化されやすいし、私もまだ自分の中で基準ができない段階です。

ただ、結果が全てではないと反論できる人は、視点を変えたら「自分の意見が言える人」とも見れるのです。

しかし、言い訳と思われる風潮は、なかなか変えることはできません。

成長、業績アップ、など上げていくことを考えれば、過程より結果が大事でしょう。

そこで、言い訳にならない視点を考えてみました。

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「結果が全てではない」が言い訳ではなく成長に結びつく視点作り

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結果が全てではないだけを聞くと、言い訳していると捉えられるのも事実です。

ではどうやったら言い訳にならないかを考えてみました。

やはり、何でも勝負の世界で見るのは疲れると言えます。

スポーツ、芸能界、メディアの情報だけだと、勝負事で見がちです。

しかし、人生においてチャレンジする機会を増やすことはできます。

また、作らずとも続けることで成果は出てくるでしょう。

参考までに、結果に期待しすぎない成長に結びつく視点作りの習慣を書きます。

過程の中に「良い結果」を見出す

仕事で業務の成果をスポーツのように「勝ち負け」で判断される少ない機会はあります。

しかし、それ以外は「結果が全てではない」というのを、もう少し砕いた言い方にしてみました。

過程の中で「良い結果」を見出す。

結果の中でも「小さい変化」を見ることができないと、やる気はなくなるでしょう。

期待した結果が出なかった反省だけで終わるのは、ダメレッテルです。

自分でもレッテルを貼るのは、厳しすぎます。

物事には両面性があるので、必ず過程の中で「できたこと」も見るべきではないでしょうか。

少なくとも自分で評価できるポイントを見つける習慣は付けていくべきです。

そうすると、人を判断するときにもできた部分を見れる視点が作られます。

続けることを意識、結果は任せる

結果が出ると嬉しいのは、簡単に出ないものだからでしょう。

私も思った結果が出たり、それ以上のことがあれば嬉しいです。

しかし、上手くいった理由はなんとでもできて、再現性を伝えるのは難しいです。

その人の背景が違うので、同じ方法が通用するとは考えにくいでしょう。

ですので、習慣つまり続けたことを振り返り、変化を伝えるしかできません。

結果は任せてその場に集中する。

心からそう思えたら、結果を見てもダメ一色にはならないと思います。

この一言を昔の自分が見たら「そうなのできない」と言いますが、これらも思考の習慣なので、徐々に変わっていきました。

結果が出るのは嬉しいですが、知りすぎたりイメージしすぎたりすると、今に集中できていないと気づいたのです。

参考までに、私が変化していった習慣をお伝えしました。

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まとめ:結果は一つの結果で試したこと見る

人生の中で機会が少ないことはあります。

一つを大事にする気持ちが悪い意味で派生した「結果が全て」は、厳しい目線ですね。

自分の中で厳しく思うのは良いですが、
人に伝えるときは別の言い方も考えたら良いかもしれません。

また、人生は勝負だけの環境ではなく、試す機会はたくさん作れます

私もそう思えるようになった一人で、
何年も悩んで少しだけ理解ができたことを、こうやって記事にしています。

勝ち負けのように2極化した結果だけでなく、結果の見方は何通りもできます。

一つ一つが「試した結果」という見方ができれば続けることができました。

ぜひ試してみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

よろしければ、他の記事もご覧下さいね。

それではまた、次回の投稿でお会いしましょう!

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