目標はないほうがいいのか?
でも目標は会社で立てるし、セミナーでもやるところが多い。
目標がないほうがいいというのは、どうしてだろう?
個人的な意見では次の結論になりました。
・伝わる形で言葉にできるかどうか
目標はなくてもいい、、、というか「目標」という言葉にざわつきやすいです。
たぶん「大きな目標、誰もがすごいという目標、小さな目標達成は意味がない」
他者から聞いた意見の思い込みが強く、自分がどう思うのか?がわからない状態だと思います。
そこで、目標はないほうがいいという意見について自論を記事にしました。
目標はないほうがいい?どっちなのか自論をお伝えします。
目標はないほうがいいのか?
結論から言えば、個人の自由で決めつけられるものではない というのが私の意見です。
目標はあったほうがいいという方もいますね。
どうして真っ二つに意見が割れるのでしょうか。
私が感じる目標は持つべきだ!と言っている人は、
「かっこよさ、世間一般のなんとなく良いイメージ、常に上向き思考」が強く出すぎている気がしています。
次の2点以外は、個人の目標に対する捉え方に依存していると思います。
・進み具合いが理解できる形に表せているか
ただ、これだけのことではないかと思っています。
言葉にできていれば、誰が聞いても理解できますね。
目標があると基準が明確になるので理解しやすいというのが言えます。
ただ、目標を持つことで「執着」になったら、ないほうがよく今を大切に活動するのがベストだと思っています。
こちらは後ほど話します。
まずは目標があるとどうなのか?と、ないほうがいいと言われる理由についてです。
目標があると理解しやすい
目標があると、誰もが判断できる数値や基準になるから理解しやすいのは事実です。
自分も他者も、達成したとわかる基準があれば、進んでいることがわかると思います。
ただ、これだけなのですが、目標の立て方や意識の持ち方を学ばず、根性論が曲がった形で横行している気がします。
目標の立て方、意識の仕方は習った覚えがありませんね。
会社に入って「なんとなく」の形を積み上げたように思えます。
ましてや、一人の人としての目標は、学ばない限り習うことがありません。
会社では自分が決めていない目標も業務にある
これは仕方がないことですが、会社では会社目標もあり、自分が決めたこと以外も業務にあります。
そのため、自分の不得意分野も業務でしなければいけない時がありますね。
だから、目標はないほうがいいと思う傾向も強くなったと感じています。
会社では統率する必要もあるので、目標(基準)があったほうがいいと言えるでしょう。
ただ、個人が目標を立てる場合は全くの別物で、次の2つで良いのでは?と思います。
・進み具合いが理解できる形に表せているか
これらができればいいだけですが、その後の価値観の押しつけが強い気がします。
・小さい目標じゃあダメだ
・答えられなかったら、なんとなく生きているレッテル貼り
言葉にした後のイメージが強くあるから、目標に対して意見が真っ二つになるのでは?と思ったのです。
目標は大きく持つ?
目標は大きいほうが行動が大きくできると言っている人がいます。
ただ、果たして全ての人に通用するでしょうか。
これこそ「人それぞれ」だと思います。
私は地に足付いた目標で、確信度合いが50%ぐらいがちょうどいいと思っています。
40歳からプロスポーツ選手になる!という目標を立てたとしますね。
実現できれば偉業ですが、偉業の目標に囚われすぎとも言えます。
マイナス的な見方ですが、現実味がない目標です。
目標とは「こうあったらいい」という理想の思いも含まれています。
大きい目標を持つときは、現在地を見失いがちです。
現在地を受け入れた上で目標を立てるのがベストでしょう。
目標の公言には注意が必要
目標を公言することで、達成度合いが高まるデータが確証されています。
私はこれを聞いたとき、受け入れられませんでした。
公言すると「やらなければ」という気持ちが働くのでやったほうがいい!という教えを聞きませんでしたか?
たしかにデータでは、達成する確率が高まる効果はあります。
しかし、自分が当てはまるかどうかは別です。
科学の立証を信じ切ると、自分の意見がわからなくなります。
あくまでも、参考程度に「試す」気持ちで見るのが良いという私の意見です。
たとえばこんな目標を公言して、応援したくなるでしょうか。
公言した人の関係性によりますが、冷たい話「どうぞご勝手に」です。
一方でイケイケと応援する人もいます。
目標は個人の達成基準であり、他者にとっては究極な話、関係ないことでメリットもありません。
公言するのはあくまで「やる気」を出すきっかけの1つと捉えたほうが良いという結論です。
目的があっての目標、達成の執着はしないこと
目的があっての目標で、今を充実させていくことができれば、目標は自然に達成するでしょう。
もし目標を持つことで執着心に変わるなら、ないほうがいいということも言えます。
執着とは「必達、義務感」など、他人の考えからコントロールされるのと、やらされている感です。
目標の達成が執着に変わり、目標を変えたら「有言不実行」のレッテルを貼るのはちょっと待ってください。
行動していれば、思い描いたことと違う状況になるのは普通です。
臨機応変という言葉あるように、修正していけば良い話ではないでしょうか。
組織の中では急変は混乱を招きますね。
ただ、人なのでその時々で変わります。
受け入れたうえで、執着せずに活動すれば良いと思っています。
参考:目標があったほうがいい人、ないほうが良い人
個人的な意見ですが、目標があったほうがいい人、ないほうがいい人の参考を書きます。
目標の有無に関わらず、心がモヤモヤして活動ができない状態はもったいないと言えるでしょう。
でしたら「自分はどちらが合うか?」を見つけて受け入れ、生きやすい目標のあり方を見つけると良のではないでしょうか。
私の経験からで恐縮ですが、参考基準をお伝えします。
目標があったほうがいい人
目標があったほうがいい人は、目標があることで行動に移せる人です。
主にこんな方だと思いました。
・ストイックな人
・勢いを大事にしたい人
こんな方は「行き過ぎ」に注意が必要と思います。
他者に理解できる言葉より、一人が突っ走った行動で背中を見せているほうが良いかもしれません。
マウントに繋がりやすいと感じたので、執着心を行動のエネルギーに変えていくと良い働きをするのではないでしょうか。
目標がないほうがいい人
目標がないほうがいい人は、目標という言葉を聞いて「考えすぎてしまう」人です。
普段から考えぐせがある人が考えすぎると、余計に動けなくなります。
「感覚的になんとなく」が上手くいくとわかっている人は、やりながら決まっていくほうが良いと思います。
気楽に考えていたほうが、行動できるのではないでしょうか。
目標がないとダメというのは、完全なマウントに感じます。
言葉に言える人のほうが少ないですし、人に合ったやり方は必ずあると思っています。
状況を見て変化に合わせた行動ができる特徴があると思っています。
自分を振り返ると、感覚でやっていったほうが上手くいくことがありました。
ただ、他者から見たら「掴みどころがない」と思われることがあります。
臨機応変に考えられるのは柔軟ですが、軸がブレている?という印象を与えやすいのも事実です。
周りに「行動していることを理解できる言葉で伝える」練習をしていけばOKだと思います。
まとめ:目標の有無は自分のやり方で決めていく
目標がないとダメ、目標がなくてもいい、どちらも正しいです。
肝心なのは、本人の納得したやり方を追求していくことではないでしょうか。
勝てば官軍のように、自分が成功した自信があれば、哲学のように言うこともできます。
ただ、決めつけに聞こえる伝え方では、受け取る側も混乱しやすいでしょう。
「あくまでも私の意見」というスタンスで、自分の意見を見つけられる「きっかけ」でOKかなと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
よろしければ、他の記事も御覧くださいね。
それではまた、次回の投稿でお会いしましょう!
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